宮城谷昌光 「楽毅」 (1) (2) (3) (4)

見たり、読んだり、思ったり。

宮城谷昌光 「楽毅」 (1) (2) (3) (4)

「楽毅」 (1) (2) (3) (4)
著 者 宮城谷昌光 (みやぎたに まさみつ)
発行所 新潮文庫


 一国の宰相とは。

 森友学園を巡る財務省の公文書改ざんや、加計学園の獣医学部新設計画について当時の首相秘書官が「首相案件」と発言したとされる文書が見つかった問題を受け、安倍政権に退陣を迫る集会が14日、東京・永田町の国会議事堂前で開かれ、約3万人(主催者発表)が周辺を埋め尽くした。
 集会は三つの市民団体の共催。野党の国会議員や市民団体関係者がマイクを握り、「安倍首相は真相を解明してうみを出し切ると言うが、出すべきうみは首相自身だ」などと政権を批判した。(毎日新聞2018年4月15日朝刊社会面)

 楽毅は、古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国、中山国の宰相の嫡子として生まれた。「三年間の留学。三年経ったら必ず帰る」という父との約束のもとに学ぶ斉の都・臨淄での日々。楽毅が己に問いかけた課題は「人がみごとに生きるとは、どういうことか」。

 楽毅が入門したのは孫子。世に孫子とよばれる大兵略家はふたり。ひとりは春秋時代の孫武。ほかのひとりは戦国時代の孫臏。孫臏は孫武の末裔。彼は孫臏の弟子のひとりに入門し、そこで孫武と孫臏の功績と戦法とを学んだ。

 斉の都に学んだ青年・楽毅を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略。

 趙の侵略はとどまるところを知らず、戦火は絶えない。中山国の君臣は方策を講じず、内外で声望のたかまる楽毅を疎んじ続け、国土の大半を失った。

 趙の苛烈な侵攻。中山国の邑は次々に落ち、中山国王も没した。祖国の存続をかけ、機略を胸に策を講ずる楽毅。しかし、ついに中山国は滅亡。

 祖国を失った楽毅。

 楽毅の将才を高く評価した燕の昭王が三顧の礼で楽毅を迎え、楽毅に大望を託したのだが・・・・・。

 孟嘗君は楽毅の年長の同時代人。

「楽毅」 (1) (2) 2002年4月1日 発行
「楽毅」 (3) (4) 2002年5月1日 発行







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[ 2018/04/15 04:00 ] 国内の作家の本 宮城谷昌光 | TB(-) | CM(-)
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散歩すると猫に会う。
いつもの場所にいつもの猫がいるのだが、人間とは付かず離れずの関係を保ちつつ生きているように思われる。

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