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村松友次 「謎の旅人 曽良」

見たり、読んだり、思ったり。

村松友次 「謎の旅人 曽良」

「謎の旅人 曽良」
著 者 村松友次(むらまつ ともつぐ)
発行所 大修館書店


 芭蕉の「おくのほそ道」の旅に随行したことで知られる曽良とは何者だったのか。彼は、宝永七年(1710年)正月の便りで九州巡見使随員として出発することを郷里に知らせている。しかし、その後の便りがなかったことから宝永七年に壱岐で死んだものとされた。その真相は。

 「曽良とは何者か」、その真実に迫ることによって「おくのほそ道」の旅が持つ二面性、「おくのほそ道」の真相(日光東照宮修復工事を命じられた伊達藩の動向を探る)についても明らかにすることができる。

 曽良は元禄四年(1691年)三月四日、江戸深川を出発し、近畿全域を踏破している。その動向を表した「京都における曽良の行動図(元禄4年4月28日~6月27日)」が巻末折込として添付されているが、並みの脚力ではない。曽良は手紙などで、神社に対しては拝むと言い、寺に対しては見ると書いているが、快速で京都・近畿の社寺をしらみつぶしに見て廻った本当の理由は。

 本書94ページに著者の見解が載せられている。

 関東の政権にとって常に潜在的脅威は京都であり、朝廷であり、それに結びつく近畿の豪族や寺社である。(3~4行目)

 曽良の隠密としての一面を伺うことができる。隠密という言い方が怪しすぎるのであれば、隠密を今風に表現してみると、諜報員、公安警察、調査員と言い換えることができる。並外れた身体能力と知力を合わせ持った曽良は、当時第一級の調査員だった。

 曽良の発句を一つだけあげるとすれば、

 芭蕉が「おくのほそ道」の旅を終えて大垣に滞在していた時、身辺の世話をした人物に竹戸という者がいた。芭蕉はその労に報いようとしたのであろう。ある時、旅の荷を入れてある油単包の中から紙衾(紙製のふとん)を取り出して竹戸に与えた。ただ与えたばかりでなく「紙衾ノ記」という文章を書いてこれに添えた。これを聞いた門人たちは、竹戸の幸運を羨み、また祝って、それぞれ文章を書いてこれに添えた。その折に曽良が詠んだ発句。

畳めは我が手のあとぞ紙衾(かみぶすま)

2002年6月1日 初版第一刷発行


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[ 2017/08/28 20:00 ] 俳論・俳文・句集など 村松友次 | TB(-) | CM(-)
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きどのひつじ

Author:きどのひつじ
散歩すると猫に会う。
いつもの場所にいつもの猫がいるのだが、人間とは付かず離れずの関係を保ちつつ生きているように思われる。

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