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たとふれば猫かもしれず

見たり、読んだり、思ったり。

「氷の闇を越えて」 スティーヴ・ハミルトン

「氷の闇を越えて」 
著 者 スティーヴ・ハミルトン
訳 者 越前敏弥 (えちぜん としや)
発行所 早川書房


 アメリカ探偵作家クラブ賞受賞。
 スティーヴ・ハミルトンは1961年生まれのアメリカ合衆国の作家。

 「解錠師」がアメリカ探偵作家クラブ・エドガー賞受賞、英国推理作家協会(CWA)イアン・フレミング・スチール・ダガー賞受賞、バリー賞最優秀長篇賞を受賞したことを奇縁に、2000年4月に刊行された本作品が新版として発行されたようです。

 主人公のアレックス・マクナイトは、元マイナーリーグの捕手。野球で頭角を現すことができず、転々と職を変えたのち、デトロイト市警に8年間勤務するが、同僚のフランクリンとともにパトロールをしていたとき、ローズという男に銃で乱射された。

 フランクリンは命を落とし、アレックスは瀕死の重傷を負って退職。アレックスの心臓のすぐそばには、未だに一発の銃弾が剔出できずに残っている。

 それから14年。ミシガン州の最北端に近いパラダイスという小さな町で、狩猟者たちの宿泊用の小屋を管理しながら暮らしていたアレックスだったが、弁護士アトリーの依頼で、調査員の仕事をはじめる。

 パラダイスに近いスーセント・マリーの町で、ふたりの賭け屋がつづけて惨殺される事件が起きた後、アレックスのもとにローズという署名のある手紙が届いた。手紙の主は連続殺人はローズ自身の犯行だと告げていた。

 ローズは14年前に終身刑の判決を受け、以来ずっと刑務所で服役中のはずだった。

 本作もまた訳者越前敏弥の翻訳が読みやすい。
 分かりやすい日本語によって物語を堪能することができる。

訳者あとがき

新版への訳者あとがき

2013年7月10日 発行

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「さみしくなったら名前を呼んで」 山内マリコ

「さみしくなったら名前を呼んで」
著 者 山内マリコ
発行所 幻冬舎


 さまざまな媒体に発表された作品に書き下ろし作品を含めて短篇11作をおさめる。書籍の表題に用いられるのは、おさめられた作品名からと思ったのだが、本書の場合、収録した作品にこだわらず、独自に名づけられている。

 「さよちゃんはブスなんかじゃないよ」
 「昔の話を聴かせてよ」
 「大人になる方法」
 「ケイコは都会の女」
 「ボーイフレンドのナンバーワン」
 「人の思い出を盗むな」
 「走っても走ってもあたしまだ十四歳」
 「八月三十二日がはじまっちゃった」
 「Mr. and Mrs. Aoki, R.I.P」
 「孤高のギャル 小松さん」
 「遊びの時間はすぐ終わる」

 作品中に引用されるさり気ない小道具や表現に面白さを見出しながら、軽い読み味ながらも今どきの女性の心の機微にふれることができるショートストーリーが11篇。

 読み手の私はそれなりの年齢のおっさんなのだが、著者34歳のころの作品集、書き手が女性であっても、その年代の女性が真摯に生きようとしている姿勢を読み取ることができる。

 真摯ということばを多用しながら真摯でない政治家にはうんざりさせられる。その政治家のためにうんざりすること自体がウザいが、この本に登場する女性たちのなんと真摯なこと。

 「ケイコは都会の女」に登場する川越出身のケイコさんが、カッコ良くビール瓶の栓を開けて飲むビールの銘柄は、絶対にコエドビールでなければならない。

 川越出身ではないけれども、川越といえばコエドビールというのは、ビール愛好者、クラフトビール愛飲者の常識。このラストシーンは超絶的な面白さなのだが、他の読者にも理解できるだろうか。斯様な表現のできる山内マリコはただ者ではない。

 ケイコは東京が好きだ。
 けど、愛しているのは川越である。
 彼女はコエドビールを飲むたび、ガソリンを満タンにした車みたいに元気になって、また東京で思いきり遊んでやろうと、踵(かかと)を鳴らすのだった。

 東京に住む地方出身者の思いが率直に述べられている。

 「人の思い出を盗むな」の冒頭の表現、

 終業式のおわった教室で、なっちゃんが下敷きをぺこぺこいわせて髪をあおぎながら雑誌をめくっている。

 下敷きこそは青春時代を象徴するアイテム、と下敷きなんてまったく使わなくなったおっさんは思ってしまう。

 あのころ、下敷きに青春性を見出すことができるなんて、これっぽっちも思わなかったが、この箇所を読みながら過ぎ去った青春時代を思い出してしまった。

 ほんの些細な表現が生み出す劇的効果。

 「走っても走ってもあたしまだ十四歳」の脇役の叔母さんに投影された著者山内マリコの姿。

 あたしが彼女たちの存在を知ったのは、叔母さんを迎えに空港へ行った日のことだ。叔母さんは売れない作家だけど、打ち合わせとか営業活動でちょくちょく東京都とこの街とを行き来していて、迎えに行くのはお母さんの役目だった。

 「ケイコは都会の女」に重ねて読むなら、

 マリコは東京が好きだ。
 けど、愛しているのは富山である。

と、なるに違いない。

2014年9月20日 第1刷発行

[ 2018/10/15 04:00 ] 国内の作家の本 山内マリコ | TB(-) | CM(0)

「湖の男」 アーナルデュル・インドリダソン

「湖の男」
著 者 アーナルデュル・インドリダソン
訳 者 柳沢由実子 (やなぎさわ ゆみこ)
発行所 東京創元社


 ヨーロッパミステリ大賞、バリー賞受賞。

 アイスランドの首都レイキャヴィクの警察官エーレンデュルを主人公とするシリーズの第四作。この本の原書は2004年に出版されている。

 レイキャヴィク近郊の湖クレイヴァルヴァトゥンで、骸骨が見つかった。湖は地震が原因で干上がっていて、骸骨はかつては湖の底に沈んでいたものらしい。頭蓋骨には強く殴られて空いたと思われる大きな穴があった。

 骸骨は重そうな黒い箱にくくりつけられていた。箱の表面には擦り傷があり、ロシア語のキリル文字がかすかに見える。箱は通信機器のようだ。冷戦時代のスパイ合戦の道具か。骸骨の正体は。検視官は骸骨を調べ、死亡時期は1970年以前、男性のものと見当をつけた。

 エーレンデュルの捜査状況と男の回想が交互に記されながら物語は展開する。

 男は1950年代、アイスランドから東ドイツのライプツィヒの大学に留学していた。アイスランドからの学生は少なかったが、地元ライプツィヒ出身者だけでなく、周辺の町あるいは近隣国、とくに東ヨーロッパから来た者が多く、男はまもなく、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ベトナム、キューバなどの出身者とも親しくなった。

 当時は、1953年の東ベルリン暴動の直後、1956年のハンガリー動乱の直前。1922年のソビエト社会主義共和国連邦の成立以降、絶対的権力を握ったソ連は共産主義の国において、市民の自由な発言や行動を抑圧し強権的な政治を行っていた。

 共産主義に賛同して、ライプツィヒの大学へ留学した男にとって、東ヨーロッパからの留学生の発言は理解できないものだった。

 ロシア革命の結果独裁制になってしまった。独裁制はどのような土台に立とうとも危険なものである。

 独裁制は恐怖と奴隷のメンタリティーを生むだけ。それをわたしたちはいまハンガリーで経験している。ハンガリーは自由な国じゃない。ソ連の監視のもとで共産主義の支配を組織的に導入した。国民が何を望むかも聞きもしないで。

 わたしたちは自分たちのことは自分で決めたい。でもそうはなっていない。若者たちは刑務所に送られる。行方不明になる人たちもいる。アイスランドには外国の軍隊が駐留しているでしょう。もし彼らが銃を突きつけてあなたたちを支配したら、あなたはどう思うの。

 1950年代、1960年代の共産主義の現実を伏線としながら物語は展開する。西側、東側の人間にとっての共産主義の実態に迫ることができる重厚な作品。内容は重いが小難しいことはない。

 登場人物のひとりハンネスの言葉。
「私たちは本当に驚いたものだ、東ドイツの社会制度に。私たちは一党支配と恐怖と抑圧の目撃者になった。帰国してからそれを報告したのだが、なんの反応もなかった。私は東ドイツで見た社会主義はナチズムの継続だと思った。確かにソ連の影が東ドイツ全体を覆ってはいたが、私は行ってまもなくあの国の社会主義はナチズムの新しい形にすぎないと思った」

 訳者あとがきによると、エーレンデュルを主人公としたレイキャヴィク警察シリーズはすでに15作発表されているという。

訳者あとがき

2017年9月22日 初版

「特捜部Q 自撮りする女たち」 ユッシ・エーズラ・オールスン

「特捜部Q 自撮りする女たち」
著 者 ユッシ・エーズラ・オールスン
訳 者 吉田 奈保子 (よしだ なほこ)
発行所 早川書房


 コペンハーゲン警察「特捜部Q」の責任者カール・マーク警部補とアシスタントのアサドとローセ・クヌスンが活躍するデンマーク発の警察小説シリーズ、第七弾。

 さまざまな事件が同時進行。それぞれの事件を関連させてはいるのだが、一つの小説に、あまりにも、あれもこれもと詰め込み過ぎてしまった印象を否めない。

 積極的に就労する意思を持たず、もっぱら補助金での生活を続けているデニス、ジャズミン、ミッシェル。偶然にも社会福祉事務所の待合室で出会った三人は意気投合し、一攫千金を企てはじめる。

 補助金の受給資格を維持するためには、アクティベーション(職能向上のために受ける教育および労働)に参加しなくてはならないのだが、それに参加せずに「甘い汁」だけを吸おうとする三人に対して、福祉事務所の担当職員であるアネリは殺意を抱くほどの煩わしさを抱いていた。

 ローセは、二年前のハーバーザードの事件以来、その時に受けた催眠療法がきっかけと考えられる不調が続いている。その不調は悪化の一途をたどるばかり。何が彼女を追い詰めているのか、その原因を解き明かそうとするカールたちに襲いかかるさまざまな事件。

 老女撲殺事件、失業中の若い女性を狙った連続轢き逃げ事件、そしてローサの過去に迫る取組みなど、いくつもの出来事が錯綜するため、多重視点で物語ることによって、ストーリーにスピード感を持たせるはずのテンポの良さが滞ってしまう。

 そのため、最終場面、拘束された状態のローサが解放されるまでの展開にやきもきさせられてしまった。スピード感が命のミステリー。記述内容には、あれもこれもではなく、あれかこれかの潔さが必要とされるようだ。

訳者あとがき

2018年1月15日 発行

「解錠師」 スティーヴ・ハミルトン

「解錠師」
著 者 スティーヴ・ハミルトン
訳 者 越前敏弥 (えちぜん としや)
発行所 早川書房

 アメリカ探偵作家クラブ・エドガー賞受賞。
 英国推理作家協会(CWA)イアン・フレミング・スチール・ダガー賞受賞。
 スティーヴ・ハミルトンは1961年生まれのアメリカ合衆国の作家。

 青春小説とミステリーの融合。訳者である越前敏弥のこなれた日本語訳が、主人公の心理を忌憚なく描写する。原作が本国で評判になっても、翻訳がイマイチだと、その面白さは半減してしまうのだが、越前敏弥の日本語訳は、もしかして原作の描写を上回っているのではないかと思わせられてしまう。

 訳者越前敏弥の経歴は国文科の卒業。

 刑期10年から25年の不定期刑で10年近く刑務所に収監されているマイクルが主人公。彼が読者に話しかけるというかたちで物語が始められる。不定期刑、未成年者の犯罪。

 彼は8歳のときに遭遇した出来事をきっかけとして話すことができなくなってしまった。見たり聞いたりすることはできるのだが、まったく言葉を発することができない。

 彼には才能があった。絵を描くことと、どんな錠をも開くことができるという才能だった。やがて高校生となったある日、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり、芸術的な腕前を持つ解錠師へと成長していく。

 物語は、現在と過去を行きつ戻りつ交互に進行。現在と過去といっても、その時間差は1年。スピード感あふれる展開。

 ポケットベルで呼び出され、全米各地から依頼があれば泥棒たちにピッキングや金庫破りの技術を提供する解錠師としての日々。

 8歳の出来事のあと、伯父に引き取られてミシガン州ミルフォードで暮らしはじめる。ふとした出来事を通してアメリアに出会い、犯罪者への転落がはじまった17歳の夏。

 ふたつの時間軸が一致したとき大団円。

訳者あとがき

2012年12月15日 発行

「ねじれた文字、ねじれた路」 トム・フランクリン

「ねじれた文字、ねじれた路」
著 者 トム・フランクリン
訳 者 伏見威蕃 (ふしみ いわん)
発行所 早川書房


 英国推理作家協会(CWA)ゴールドダガー賞受賞。
 トム・フランクリンは1963年生まれのアメリカ合衆国の作家。

 ミシシッピ州東南部の片隅に位置する田舎町シャボットで製材所を経営し町を統治するラザフォード家の19歳になる娘が夏休みの終りに大学のある州北部の街オクスフォードに戻るために家を出たきり行方が分からなくなった。

 州の警官が総出で探すなか、集落にひとりで暮らしている自動車整備士ラリー・オットは、令状を携えた保安官事務所の捜査主任の訪問を受ける。ラリーには前歴があると確信されていたからだった。

 1982年、16歳のラリーは近所に住み同じハイスクールに通う少女シンディ・ウォーカーとドライブイン・シアターに行った。けれどもその晩、帰ってきたのはラリーのみ。シンディはそれっきり姿を消し、以来25年間、行方がしれない。地元の人間は全員、ラリーが何か仕出かしたに違いないと確信し、彼をのけ者にし続けてきた。

 サイラス・ジョーンズは田舎町シャボットの治安官。シャボット唯一の法執行官である彼は、古ぼけたジープでパトロールし、スピード違反を取り締まり、住民の苦情処理に駆け回っていた。さらにその上、本来の職務からは外れていると思われる製材所の交通整理までやらされている。

 ラリーとサイラスの出会いは共に14歳のとき。大都会シカゴからシャボットに母と共に流れてきた黒人の少年サイラス。彼に親愛の情を抱いた白人の少年ラリー。人種の壁を越えて友だちとなった二人は、森の中を駆け巡り、自転車で走りまわって遊びに興じたが、不幸な出来事により仲たがいしてしまっていた。

 過去に目を背けて生きてきた二人だったが、運命の糸が再び絡まりはじめる。

 明るい未来を予感させる結末。

解説 川出正樹「ねじれても、ねじれても――懐かしくも新しい〈南部の物語〉」

2011年9月15日 発行

「メガネと放蕩娘」 山内マリコ

「メガネと放蕩娘」
著 者 山内マリコ
発行所 文藝春秋


 偶然にも山内マリコの作品を読んでいたからだと思うが、その時、目を通していた水曜日の毎日新聞夕刊の文化欄の「ナビゲート2018」に執筆者山内マリコの名前を見つけた。

 それまで私が知らなかっただけであって、山内マリコというのは結構メジャーな存在なのかもしれない。

 この欄については「林英一、古川勝久、山内マリコ、粥川準二、小田島恒志の各氏が交代で執筆、毎週水曜日に掲載します。」と但し書きがついている。

 2018年10月3日(水)のタイトルは「取り分けるのは誰の役目?」。彼女の論の最終段落が意味深長で皮肉たっぷり。

 合コンで、女性が率先してサラダを取り分けることは、「女性らしさ」を男性にアピールする常套手段として本当は、「蔑まれている」のだ。(毎日新聞2018年10月3日夕刊)

 次回の山内マリコの担当がいつになるのか分からないが、必ず読まねばなるまい。

 「メガネと放蕩娘」というタイトルではどんな内容か想像もつかないが、さりげなく表紙絵の一部分を担っているかのように添えられた「Hometown revival blues」の英文がすべてを物語っている。こちらの方が本書のタイトルとしてはピッタリ。

 ホームタウン・リバイバル・ブルース。
 故郷復興ブルース。
 故郷復興哀歌。

 作品内容は確かにブルース。かつて県下でいちばんの繁華街だったのに、今ではシャッターを下ろした空き店舗が連なるばかり。「昔はよかったな」といま33歳のわたし貴子もそう思う。市役所職員となって7年のわたしはウチダ書店の長女。

 土曜日の朝6時、シャッターを開けて外に出ると、風がひんやりして肌寒かった。

 他に誰もいないアーケードのど真ん中を、キャリーケースをゴロゴロ転がしながら、十年前に家出した妹のショーコが、ぱさついた金髪をティナ・ターナーのようになびかせ、ノースリーブのマキシ丈ワンピース一枚という恰好で帰って来た。 

 「悪いけど産まれそうだわ。いますぐ救急車呼んでくんない?」

 目 次
第1章 2013年 放蕩娘の帰還
第2章 2014年 赤ちゃん協奏曲
第3章 2015年 イベントが大好き♡
第4章 商店街シェアハウス化計画
第5章 2017年(上半期) うちの店、貸します。
第6章 2017年(下半期) うちで店、やります!
第7章 2022年 再び、放蕩娘の帰還

 開巻第1ページの

 フリポケの思い出に、感謝を込めて――

とは、そういう意味だったのか。最後まで読んでのお楽しみ。

 年代的にちょっと遅れてやってきた、地方に生きる地元在住者たちの青春グラフィティ。おじさん、おばさん一歩手前の年代の青春グラフィティ。何かやり始めるに当って、やる気さえあれば、遅す過ぎるということはない。

2017年11月15日 第1刷発行

[ 2018/10/04 14:00 ] 国内の作家の本 山内マリコ | TB(-) | CM(0)
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きどのひつじ

Author:きどのひつじ
散歩すると猫に会う。
いつもの場所にいつもの猫がいるのだが、人間とは付かず離れずの関係を保ちつつ生きているように思われる。

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